ワンコきゃわわ。つぶらな瞳きゃわわ。全力で駆け寄ってくるの超きゃわわ。控えめに言って天使。私(中澤)は犬が好きだ。

だがしかし、両親は犬派と猫派に分かれており、結局どちらも飼わないという結論を出した。1人暮らしを始めてからは、アパートが軒並みペット禁止なので私は犬を飼ったことがない。そんな趣味と生い立ちのギャップのせいか、たまに発作が来る。犬飼いてェェェエエエ!

苦しい。超苦しい。そこで、豆柴カフェに行ってみたところ、達人に出会った

・豆柴カフェとは

小さい柴犬である豆柴。クリッとした瞳と小さくとも凛とした佇まいが可愛い。そんな豆柴が大集合しているのが浅草の『豆柴カフェとフクロウ&ヒョウ猫の森』だ。まさに犬好きの極楽浄土と言えるだろう。

だが、お金を払ったからとて好き勝手愛でていいわけではない。動物を保護するため、いくつかのルールが設定されているのが普通である。例えば……

一つ、抱き上げたりしてはいけない
一つ、強引に膝の上に乗せたりしてはいけない
一つ、フラッシュ撮影禁止
一つ、 動物用玩具の持ち込みNG

──などなど。要するに、動物のことを考えず自分の欲求を満たすためだけの行動はNGだ。まあ、誠の愛があるならばこれらの禁止事項に抵触してしまうことはないだろう。動物たちはそこにいてくれるだけで尊い存在なのだから。

・豆柴が膝に乗るということ

そんな豆柴カフェで、最高の喜びとなるのが豆柴が膝に乗ってくれること。多くの客がいる中、自分の前で立ち止まってくれるだけでも嬉しいのに、膝に乗ってくれようものなら大勝利。30分880円の入場料も元が取れてお釣りが来るというものだ。

その栄誉を得るため、犬好きたちはなんとか豆柴の気を引こうと切磋琢磨している。ある者は、自らの膝を叩いてアピールし、ある者は店内に転がっているおもちゃを投げ、ある者は犬語で語りかける。全ては己が膝に豆柴を導くために

・達人現る

私が入場した時、そんな静かなる闘いの中で1人だけ圧倒的に豆柴の注目を集めている女性がいた。膝に1匹乗せている上、周りに豆柴が「かまって!」とばかりに寄っていくのである。フロアのほとんどの人がただの障害物と化しているというのに何者だあの達人は!?

私はひそかにその人物をマスターと呼ぶことにした。基本的には何もせずとも豆柴が寄って来るマスター。最初は、「犬が好きな香水とかつけてるのかな?」と思った。だが、観察しているうちに他の客と明らかに違う点を見つけたのである

・極意

それはマスターの膝に座っている犬が退いた時のこと。私なら違う犬の気を引こうとするところだが、マスターは特に何もせず同じ体勢でぼーっとしているように見える。と、その時! 新しい犬がマスターの膝に乗った!! そ、そうか! そういうことだったのか!!


何もしないのではない……何もできないのだ……!


なぜならば、胡坐をかくと、膝を叩いたりおもちゃを投げたりするほどに前かがみになってしまう。必然的に、膝上の犬が入れる空間はお腹と胸に圧迫され狭くなる

対してマスターは背中側の床に手をつき胸をそらせた体勢を常に維持している。そうすることで、犬のための空間をキープし続けているのだ

・実践

そこで私も全ての邪念を捨てて、マスターと同じ体勢で何もせずに待ってみることにした。もう時間も少ないしダメ元である。刻一刻と近づいて来る終わりの時、一向に近づいて来ない豆柴たち。やはり私ではダメなのか? そう思った時……


1匹の豆柴が膝の上に座った。

うおおおおおおおお! キタァァァァアアアア!! これが豆柴の温かさ……。涙がこぼれそうだよ。ありがとうマスター、ありがとう豆柴……地球上の全てにありがとう! みんなみんな存在してくれてありがとう!!

・愛とは

鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス──。達人の背中に学んだことは圧倒的「待ち」の姿勢。思えば禁止事項もヒントだったのかもしれない。何より、相手(豆柴)の気持ちで考えることが大切だったのだ

愛するあまり自分本位な考えになりかけていた私。時おり愛は我々の目を曇らせる。この極意は、そんな時に「愛とは何か?」を教えてくれるのだ。豆柴カフェに行くことがあったら試してみてくれ。きっとあなたも愛の温かさに気づくはず。

執筆・イラスト:中澤星児
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