太平洋戦争……アラサーな筆者の場合、ちょうど祖父母の世代の話。幼いころにはやたらと当時のことを聞かされたし、まだ田舎に防空壕が健在だったり、時折不発弾が発掘されたりと、戦争の残滓(ざんさい)はそこかしこに残っていた。

しかし、今となっては沖縄を除けばそういうのも珍しいだろう……が、何事にも例外はあるもの。なんと関東某所に手榴弾が大量に投棄されている場所があるらしい。にわかには信じがたいが、本当ならただ事ではない。実際に行ってみた結果……大量どころじゃねぇ! いくらなんでも多すぎるだろ!!

・場所は埼玉県

さて、今回筆者が手榴弾を求めて訪れた関東某所とは、埼玉県に存在する。そう……戦慄するようなポスターがあったり、浮気率ランキングで1位だったり、映画『翔んで埼玉』でディスられまくってにわかに注目度が増している感のある、あの埼玉だ。

何も無いところだと思っていたが、手榴弾が落ちてるなんてぶっ飛んでいる。見に行くか……と思ったものの、調べても詳細な場所については判明せず。びん沼川という川沿いらしいことだけはわかったので、一帯を歩いて探すことに。


・田舎のドブ川

しばらくは予想をつけたエリアをうろうろしてみたのだが、そもそも川辺に降りられる場所が見当たらない。道路から水面は見えるも、急勾配すぎたり、草薮になっていて到底踏み入ることはできないのだ。

ちなみに水質はお世辞にも綺麗とは言いがたく、ひっくり返ったボートやら自転車やらのゴミこそ目につくものの、手榴弾的なものは見当たらない。典型的な場末のドブ川といった感じ。とはいえ、時々魚が跳ねたり、また浅いところではカメが泳いでいたりするので生命は豊富そうである。



川の周りは田んぼだらけのTHE 田舎。そばに高校があり、たまにそこの生徒が自転車で通り過ぎていくが、カメラ片手に草薮から川を覗き込んだりしている筆者は完全に不審者だ。手榴弾が見つからないこともあいまって、次第に心細くなってくる。このネタ、無かったことにして帰ろうかな



・謎のおじいさん現る

しかし、手榴弾の神は筆者を見捨てなかった。帰りのタクシー代について考えながら、田んぼそばの住宅街を通りがかったとき、見知らぬおじいさんが筆者に声をかけてきたのだ。


おじいさん「フォフォ……手榴弾かい?


聞き間違いだろうか? 手榴弾と言った気がする。彼の方を向くと、余裕を感じさせる笑みを浮かべてこちらを見ている。やはり今のは筆者に向かって発した言葉だったのだろうか? いや、そもそも半径500メートル以内には筆者と老人とカメしかいない


おじいさん「手榴弾……探してるのかい?」


聞き間違いでもなんでもなかったようだ。彼は筆者に向かって手榴弾と言っている。なんという洞察力だろう。仙人か何かなのだろうか?


筆者「そうなのですが……どうしてわかったのです?」

おじいさん「フォフォフォ……」


おじいさんはうろたえ気味な筆者の問いを静かにスルー。相変わらず余裕な笑みを浮かべながら、ついて来るよう手振りで示すばかり。どうにもアヤシイが、企画倒れ寸前の身としては他に術もない。

黙っておじいさんの後についていくと、彼は川沿いのある場所で立ち止まり……静かに下を指差した。


おじいさん「フォフォフォ……」


・手榴弾の川原

おじいさんが指差す方を見ると、そこには干上がりかけの汚らしい川底が。しかし何かようすがおかしい。一面に白いモノが散らばっている。これは、なんだろう? 縄文時代の遺跡などでおなじみの貝塚に似ている。



まさか……これは……!?


興奮を抑えつつ土手を駆け下りるッ!


そして散らばっている白いモノをよく見ると……



手榴弾ッ!!!


間違いない。割れているものの、ボンバーマンに出てくる爆弾のようなフォーム! これは日本海軍の四式陶製手榴弾である。すげぇ!!!

それにしても驚くべきはその量だ。ちょっと落ちているとかそういうレベルではない。川原そのものが手榴弾で埋め尽くされている……いや、このエリアの土中にみっちり埋まりまくっている。もはや地層が手榴弾でできているような状態だ。



一カ所だけ誰かの手によって深く掘られた穴があり、その側面も隙間なく手榴弾の破片がこんにちはしている。落ちていた木の枝で穴の側面をなぞりつつ深さを探ってみたところ、2メートル弱はある。棒の手ごたえ的に穴側面は底まで陶器の破片っぽい。恐らくその深さまで手榴弾で埋め尽くされているのだろう。



というか、よく見たら川底から4メートルほどの高さの筆者が駆け下りてきた斜面も、土で目立たなくなっているものの、実は手榴弾が埋まっている。全部でどのくらいなのか全くわからないが、膨大な量であることだけは間違いない



・浅野カーリット

予想を圧倒的にぶっちぎる量の手榴弾パラダイスにいささか呆然としていたところ、案内してくれたおじいさんがこの場所について簡単に教えてくれた。どうやら元々、このエリアには「浅野カーリット」という、日本軍の下請け軍需工場があったそう。試しに当時を知る人に心当たりが無いか聞いてみたが、今はもういないとのことだった。

おじいさんから聞いた話を元にググってみると、10年以上前の川越市の広報誌に有力な情報が掲載されているのを発見。広報誌によると、話は昭和14年、西暦でいうと1939年までさかのぼる。この頃に浅野カーリットの工場が操業を開始したとのこと。

火薬庫などを含む工場の敷地面積は、なんと約10万坪だったそうだ。10万坪というと約33万平方メートル。東京ドームが約4万7千平方メートルなので、いかに大規模な工場か、なんとなく想像がつくのではないだろうか。

なお、最初から落ちている陶器製の手榴弾を作っていたわけではなく、当初は金属製の、一般的にイメージされる手榴弾を作っていたようだ。しかし戦争末期、物資の不足にともなって陶器製の手榴弾にシフトしたのだとか。


・弱そう

手榴弾の構造としては、ボンバーマンの爆弾じみた陶磁器の器の中に、爆薬を入れただけの簡単なもの。広報誌にはかつて工場で働いていた人のインタビューも掲載されている。それによると、陶製の手榴弾による爆発事故が起きたこともあったそうだが、あまりの威力の弱さに戦場で役に立たないように思ったなどと書かれている。

そしてやがて終戦を迎えると、工場は生産を停止。作っていた手榴弾や地雷は、適当に粉砕したのち川に捨てたという。それから約74年の時を経て、その捨てた場所に筆者が来ているわけである。



筆者も現物を手にしたからわかるのだが、これでは投げても地面に落ちた衝撃で割れてしまう気がする。苦肉の策で生み出された感がものすごい。戦場で敵を前に、武器としてこれを渡されたら絶望しかない。

今となっては川原に捨てられてるただの陶器のゴミだが、背景を知るとなんだかナマナマしい。ちなみに、おじいさんによるとこの川は周辺の田んぼの稲作にあわせて水位を調節されており、春ごろから稲刈りの時期までこれらの手榴弾はほとんど水没するそうだ。


・自己責任とマナー

ということで大量に落ちている手榴弾、いかがだっただろう。実際に見てみると大量どころの話ではなかったわけだが、工場の規模を考えると納得はいく。なお、74年も堂々と放置され続けていることからお分かりいただけると思うが、手榴弾とはいえ陶器のガワだけで中身は入っておらず爆発もしない。

それでもこの場所に行ってみようという方は何が起きても自己責任だ。足場はめちゃくちゃ悪く、爆発せずとも割れた陶器だらけ。下手な靴だと足がザックザクだろう。ヘドロも凄いので、脛(すね)くらいまである分厚いブーツはマスト。

アクセスは最悪で、周囲に駐車場は無い。車で訪れて路駐で放置などもってのほか。言うまでもないが、大規模な発掘も当然アウトだ。それでもという方は、先述のことやマナーに気をつけてほしい。

最後に一つ。一人の埼玉県民として、とにかく何もないことに関しては自信を持っていた筆者。しかし、今回の取材の結果その自信は完全に打ち砕かれてしまった……。埼玉は局地的とはいえ、たぶん全国でトップレベルに手榴弾が落ちてる超ハードコアな県やでこれ。

参照元:川越市広報誌(PDF)
Report:江川資具
Photo:RocketNews24.

▼何か文字が入っている

▼平べったいこちらは「三式地雷」か

▼今は田んぼだけど、大戦時はこの辺りもバリバリに軍需工場だったと思われる

▼顔を伏せることを条件に、写真も撮らせてくれた謎のおじいさん