2018年7月14日、プロレスラーのマサ斎藤さんが亡くなった。75歳だった。こう言っては失礼だが、ベルトの獲得歴などはライバルのアントニオ猪木には遠く及ばず、必ずしもマット界の主役ではなかったマサさん。それでもファンはマサさんを愛していた──。

なぜマサさんがここまでファンから愛されたのか? 今回はマサさんに影響され、マサさんの座右の銘「Go For Broke(当たって砕けろ)」を同じく座右の銘にしている私、P.K.サンジュンが、マサさんを偲びつつその魅力を語りたい。

・マサさん伝説

私がプロレスを見始めた頃、マサさんはすでに第一線を退いていた。かの有名なアントニオ猪木との「巌流島決戦」は終わっていたし、マサさん史上最も大きなタイトルAWA世界ヘビー級王座もすでにその腰には巻かれていなかった。

私が知るマサさんは、大好きだった長州力の師匠格であり、新日本プロレスの外国人招聘担当であり、そして愛くるしい迷言を連発する解説者であった。つまり私は本当の意味で “現役バリバリ” のマサさんを知らないことになる。

だがしかし、プロレスファンとは過去をさかのぼり数々の歴史や伝説を学ぶものだ。そこで知ったマサさんは……それはそれはヤバかった。もちろん尾ひれが付いたものも多分にあるのだろうが、いつの間にか「マサさんはガチ」と私の中でマサさんは神格化されていったのだ。

アマレス日本代表として東京オリンピックに出場、単身渡米し反日感情の強かったアメリカマットでバリバリのヒール(悪役)として活躍。街のゴロツキがリングに乱入した場合、それを叩きのめすのはマサさんの役目であったという。

さらにはアメリカで警察官数名をなぎ倒し、1年半もの刑務所生活を送ったという事実も当時少年だった私の心には強く響いた。50歳にして極限までビルドアップされた肉体、屈強な外国人選手たちがマサさんをリスペクトする姿、そして長州力の師匠……。マサさんがある意味で “強さの象徴” だったのだ。

・強さだけじゃない

ただし、マサさんが愛された理由はそれだけではない──。強いだけのプロレスラーなら他にもいるが、マサさんにはマサさんだけにしかない特別な魅力があった。ズバリ “可愛らしさ” である。“強さ” とは相反する可愛らしさを、マサさんは奇跡的にも同時に宿していたのだ。

おそらく知らない人が見たら、マサさんの顔は普通に怖い。目が合ったら一瞬で逸らしてしまうことだろう。しかし、そんな強面のマサさんの大好物が「カルピス」と知ったらどうだろうか? マサさんがカルピスに目が無いことはよく知られた話で「あんなにウマい飲み物はないよな!」と公言していた。

また解説者としても、その可愛らしさが爆発しまくっていた。「ペガサス? ああ、クリスはね……」と、さらりとマスクマンの正体をバラすことなど日常茶飯事。実況の辻アナウンサーがあたふたしながらフォローしまくっていたことをご記憶の方も多いことだろう。

・男の中の男

つまるところ、マサさんは男が憧れる全ての要素を兼ね備えていた「男の中の男」であった。鬼のように強くて、一匹狼で、出しゃばりすぎず、いざというとき頼りになり、そして可愛らしい男……。私はマサ斎藤以外に、こんなプロレスラーを、こんな男を知らない。

最後の最後までパーキンソン病を戦い、リング復帰を目指していたというマサさん。惜しくもその願いは叶わなかったが、マサさんの伝説はこれからも語り継がれることだろう。「Go For Broke」の魂よ、永遠なれ──。

執筆:P.K.サンジュン
イラスト:マミヤ狂四郎

▼多くのプロレスラーがマサさんを偲んでいる。

▼日本のみならず海外からも