「あの時は、ごめん……」、今なら言える、お詫びの言葉。人は誰でも過ちを犯す。その失敗から学び、成長していくものだ。成長した今だからこそ言えることがあるはず。完ぺきな人間に見える私(佐藤)もそうだ。

あれは、2018年5月の終わりのことだった。ある電車の車内広告を見た時に、遠い昔の過ちを思い出した。今から17年前、ひとりの友人を傷つけてしまったかもしれない。今ならごめんって言える! だから会いに行くことに決めた!! 飛行機と船を乗り継いで、片道5時間かけて島根の離島へ

・応援メッセージのポスター

私がその友人、徹也のことを思い出したのは、あるポスターを見たことに始まる。内閣府の地方創生キャンペーンの一環で、山手線の特別車両に47都道府県の応援メッセージが掲出されていた。それを見て郷里の島根を思い出したのである。

徹也は、私が28歳の時に勤めていた店に面接に来た男だ。残念ながら私は不採用の決断をしたにもかかわらず、彼は私が失業すると、自分の勤めているお店に誘ってくれたのだ


なんていいヤツなんだ! 今思えば、あの時に私は救われたはずなのに、お礼の一言もいっていない。「不採用にしてごめん」とお詫びの言葉もいってない。きっと彼は内心傷ついたかもしれない。だって、私のしたことは、失礼すぎるもん! そんなんできひんやん、普通!!

17年も経っちまったけど、今から行こう。お詫びに行こう。あの時ごめんって。遅いかもしれないけど、時間の問題じゃないんだ。本当にすまないって……。数少ない友達のひとり。私のようなクズ野郎と付き合ってくれる友達なんて、そうそういない。むしろ、私と率先して付き合いを持とうとするヤツは、逆に怪しいとさえ思っているくらいだ

とにかく徹也には早く謝ろう……。


・片道5時間もかかる……

という訳で、島根県隠岐郡海士町の彼の元へ、飛行機と船を乗り継いで行くことにした。

実は、隠岐の島に行くのは、人生で3度目。島根にいた30年間でわずか2回しか行っていない。地元の人でも、なかなか行く機会がない場所だ。とにかく片道5時間かけて、謝りに行くぞ(面倒くさいけど……)。


・米子鬼太郎空港へ

まずは、羽田空港から約1時間のフライトで米子鬼太郎空港へ。空港ではゲゲゲの鬼太郎が出迎えてくれるぞ!

そこからタクシーで約10分の境港(さかいみなと)港へ。ここも鬼太郎一色だ。水木しげるロードは外せない観光スポット。今回は行く時間がないのでパスだ。

ここから高速船で一路隠岐の島へと向かう。所要時間は約2時間。この日は天候が悪く欠航する心配があった。幸い出航することになったが、欠航していたら東京にトンボ返りしなければいけなかったかも。ここまで来たのに帰るの面倒くせええ!

ちなみに船内は乗合バスのような雰囲気だ。


・島前と島後

ここで豆知識! 隠岐諸島は、大きく分けて4つの島で構成されている。知夫里島(ちぶりじま)、中ノ島、西ノ島の3つの島からなる島前(どうぜん)と、4島のなかでもっとも大きい島後(どうご)だ。島前・島後は船で約30分の距離であり、島前3島の間は、内航船で行き来することになる。


徹也が住んでいるのは、中ノ島だ。搭乗中の高速船は隣の西ノ島に到着する予定なので、もう1度船に乗らなければならない。ここまでですでに羽田空港を出て、4時間以上経過している。遠い……。

もうすぐ着くなあ~。徹也はどんな顔して出迎えてくれるんだろう。やっぱ、あのこと忘れてねえよなあ~……


・ついに再会!

9時35分に羽田空港を出て、中ノ島(海士町)に到着したのが、14時20分頃。約5時間を経て、ここまで来た~! とりあえず、横になりたい。宿泊先は徹也が営む旅館だ。迎えに来てくれるように伝えると、すぐ行くとの返事。はたして、あいつはどんな顔をしてあらわれるのか!?


待ち合わせ場所にいると、「お~い!」という声が!?


美人と噂の奥さんと一緒に登場。作務衣姿が良く似合う。


「おお~! 元気にしてたか~」


SNSで時々メッセージのやり取りはするものの、対面で顔を見るのは本当に久しぶり! もしかしたら、10年ぶりかも? 会って顔を見ただけで、めちゃくちゃ嬉しい! 遠路はるばる来た甲斐があったよ!


・絶景スポットへ

よし、とりあえず宿に行って横になりたい。連れてってくれ、お前のところへ。と思ったら……。


徹也「乗れ、行くぞ」


という。どこに行くんだよ、休ませてくれや……。

せっかく船を降りたのに、車ごと乗るカーフェリーに乗船。隣の西ノ島からこっちに来たのに、また西ノ島に逆戻りすることに。なんでだよ……。

徹也がいうには、西ノ島町にある国賀海岸に行こうとのこと。選ぶ権利はないので、任せることに。それにしても、隠岐には牛や馬がそこら中にいる。

ここでは牛も馬も放牧されているので、車で走っているとよく出くわす。彼らが道をふさいでしまって立ち往生することは全然珍しいことではない。当然、あちこちに巨大なウ○チが転がっていたりする訳だ。


・はるか彼方まで望む摩天涯

車で約10分走り目的地に到着した。

実はここは、国内でも有数の絶景スポット。高さ257メートルの摩天崖(まてんがい)は、国内最大級の海崖なのだとか。視界を遮るものはなく、草原と海、そして空があるだけだ。そこをのどかに歩く牛や馬の姿を見ると、まるで自分が物語のなかに入ってしまったような錯覚に陥る。


・絶望的な雨男

ひとつ残念なのは、私は絶望的なほどの「雨男」である。この日も船が欠航になりそうなほどの雨に見舞われ、危うく島までたどり着けない事態になりそうになった。今、ここにいて、しかも今だけ雨が降っていないことが奇跡だ。晴天であれば、ここはもっともっと素晴らしい場所なのだとか。

後に写真を見せて頂くと、思わず「ビューティフル!」と叫びたくなるほど

『この世の楽園』といっても、決して言い過ぎではない。

私が雨男でなかったら……。


・隔てた時間を埋めるように

ここは自然景勝地として知られており、昭和38年に国立公園に指定されている。平日の昼間、しかも直前まで天気が良くなかったこともあって、周りには誰もいなかった。

私が東京に出てから14年、徹也が隠岐に帰ってから7年。共に働いた時間は、はるか昔のことだ。時間と距離を隔てている間に、何があったのかをお互いに語り合った。

一緒に働いている頃は、家にいる時以外、朝から晩まで本当にすぐに隣にいた。飲食店の狭い厨房で、営業時間外はずっと仕込み。営業中はずっとオーダーをこなす。

飽きるほど長い時間を一緒に過ごしたはずなのに、今振り返るとそれが一瞬のことのように思えるから不思議だ。


・気心の知れた友

絶景を存分に堪能した後に、再び船に乗って中ノ島へ。ようやく宿に行くことができた。徹也の営む旅館「なかむら屋」は、居酒屋「紺屋」を併設しており、宿泊客はこの居酒屋で食事をすることになる。

食事は隠岐で採れた海産物をメインに、隠岐牛とリクエストで生ガキも用意してもらった。身近にウマいものがあるのは本当に幸せなことだ。この島にはコンビニはないけど、豊かな暮らしを送っているのだとつくづく感じた。

お店の営業がひと段落つくと、徹也も座敷について一緒に酒を飲んだ。

久しぶりに酌み交わす酒のなんと美味なことか! 正直40歳も超えると、だれかれ構わずに本音で話すことなんてそうそうできるもんじゃない。気心の知れた友達と、こうして時間を重ねられるだけで、本当に有難い。初期のダウンタウンの「ガキの使い」が面白かっただとか、あの頃の音楽はどうだっただとか。中身はどうでもいい。一緒に居られることが幸せなんだな。


・やりたいこと

ほど良く酔いしれたところで、私はお酒の勢いに任せて徹也にこう言った。

私「お前、また音楽をやりたいとは思うんのか? インディーズとはいえ一度は表舞台に立った人間なら、多くの人の前で演奏したいと思うだろ。自分のやりたいと思うことを、やりたくならんか?」


徹也「俺は俺のやり方で、やりたいことを実現しとる」


・どこででも、やりたいことを

その言葉の意味を、私はすぐに理解した。実はここは全国でも例を見ない特別な旅館だった。なんとライブが出来るのである。

小さな島の旅館であるにもかかわらず、全国的に名の知られた有名アーティストが何度もライブを行っている。ここで実力派アーティストの音楽に、直に触れられるだけでなく、自らも演奏し、なおかつ家族でバンドまで組んでいるのだ。奥さんはこの島に来てからキーボードをやり始め、娘さんはドラムを叩くようになった。

また、地元に貢献する術として音楽を活用している。夏には「アマフェス」という野外音楽イベントを開催しており、今年も実力派アーティストが10組以上来島して、2日間にわたってライブを行うらしい。自分が主役でなくても、「音楽をやる」ことはできるのだ。

どこででもやりたいことがあれば、やったっていいんだ。型破りな旅館ではあるけど、彼はこの宿を通して、そう示しているように見えた。

数年ぶりに2人で演奏してみたけど、そりゃ満足なモノができる訳じゃなかった。ふと昔を懐かしんだのか、徹也はふと尋ねた。

徹也「お前、帰ってこうへんのか?」

佐藤「帰って来んよ。俺はまだやり残したことがある。大げさに言えば夢がある」

とういうと、徹也は「そうか」とだけつぶやいた。妙な余韻が残ったけど、最高に楽しい夜だった……。


・豊かさとは何か?

ふと自分の日常を振り返ると、徹也が育んでいるようなゆとりが自分にあるだろうか? 時には息が詰まるような思いをして電車に乗ったり、見知らぬ誰かを押しのけて、改札にたどり着こうとする毎日。ジュース1本買うのに、コンビニの会計で行列することも日常。その度にイライラしているのは、まぎれもなく事実だ。

はたしてそれが「豊かか?」と尋ねられると、決してそうとは言えないかもしれない。むしろ、ここの豊かな自然に比べれば、あのコンクリートの街並みは、文字通り色あせているようにも思える。ここの暮らしの豊かさは、確実に都会にはないものであり、そこでやりたいことをやるというもの、ひとつの生き方であると感じた


・声は届かなくなったけど

翌朝、固い握手をして「家族仲良くな」というと、「当たり前だ」と言い返す。

そして「また来る」というと、徹也は「おう」とだけ返事をした。


港から出るフェリーを奥さんと一緒に見送ってくれたよ。


じゃあな~!

またな~!



じゃあな~!

また来るからな~!



お互いを呼びかける声が段々と小さくなって、最後は船と波の音にかき消されて、聞こえなくなってしまった。



見えなくなるまで手を振ってくれたけど、もうお前の声は聞こえなくなってしまったよ



いくら声を張り上げても、お前には届かないけど、私は自分のやることでお前の元にニュースを届けるから。お前はお前のやることで、俺にニュースを届けてくれ。海士町すごいことをやってるって。隠岐の島はアツいらしいって。

そういえば、お詫びの言葉を伝えに行ったんだけど、それはまた次の約束な。また会おう、ずっと元気でいてくれよ。そして、その場所でお前のやりたいと思うことを、いつまでもやり続けてくれ。

参考リンク:内閣府「どう生きる? どこで生きる?」
Report:佐藤英典
Photo:Rocketnews24