先日発売された松屋の新メニュー『ごろごろ創業ビーフカレー』について、私(あひるねこ)は「ごろチキがいない世界線ならエースを張れた」という内容の記事を書いた。これに対し、「その目と舌は節穴ですか」と挑発的な態度を取ってきたのが当サイトの記者・K.Masamiだ。要は私と『ごろチキ』に喧嘩を売ってきたのである。

その喧嘩を買う形で前回、私は松屋カレー戦争の開戦を宣言。徹底抗戦の構えを示したのだが……何をトチ狂ったかK.Masamiは、こちらの反論に対し「落ち着け」などと意味不明な供述をしており始末に負えない。先に喧嘩を売っておきながら「落ち着け」? お前は何を言っているんだ?

・再びの反論

2020年6月2日、当サイトにて「【落ち着け】やはり『ごろビー』こそ真のカレーであることを証明しよう / 勝手に「松屋カレー戦争の開戦」を宣言した記者への反論」という記事が公開された。K.Masamiによる私への反論である。



・再びの猛攻

記事における彼女の言動は相変わらず挑発的だ。私に対しても「どうしたん? ごろチキに寄生でもされたん?」と、やはり尋常ではない煽り方をしてきており、外見とは裏腹のその気性の荒さには改めて震えざるを得ない。



またK.Masamiは、私が『ごろチキ』最大の魅力として挙げた “中毒性” という言葉を勝手に持ち出し、数行にわたって「ごろビーこそ真の中毒性保有カレー」と後出しじゃんけんの如く主張。息をするように喧嘩を売っていくその過激な姿勢は、敵ながらあっぱれと言えよう。


しかしK.Masamiよ、私は前回こう忠告したはず。これ以上挑発行為を繰り返すようなら、私も全力をもって迎え撃つと。そっちがその気ならこちらも容赦しない。ここまでこじれてしまっては、もはや和解は不可能である。『ごろチキ』と『ごろビー』、どちらかが滅びるまで徹底的にやり合うしかないだろう。


・最悪のシナリオへ

こうしてK.Masamiとの熾烈な殲滅戦を覚悟した……その時だった。


「……ろ。……ろ。争……な……」



……なんだ? 冷凍庫から声が聞こえる。


ま、まさか……。


か、神ッ!


・復活の『ごろチキ』

思わず『デスノート』の魅上みたいな感じになったが、実は私は来たるべきディストピアに向け、販売終了直前に『ごろチキ』を冷凍保存していたのだ。こ、これが神の声……!


ごろチキ神「あひるねこよ。戦争なんぞしたらアカン。同じ松屋のカレーを愛する者同士。ワシもウマいし『ごろビー』もウマい。それでええやないか。あのねーちゃんのことは許したれや。さもないとしばき倒すぞ」



『ごろチキ』、お前……そんなキャラだったんか。一人称ワシでしばき倒すて。『ごろチキ』というより、これではゴロツキである。しかし……たしかに神の言う通りかもしれない。私だってK.Masamiだって、『ごろチキ』と『ごろビー』どちらもウマいことは分かっているのだ。

・両雄並び立つ

私は『ごろチキ』を解凍した後、近所の松屋で『ごろビー』も買ってきて二つを同じように盛りつけ、並べた。そして食べた。すると……


タイプはまるで異なるものの……


それぞれが唯一無二の輝きを放っており……


お互いがお互いを補完し合うかのような……


それはまるで陰陽の調和。


そうか、これが……


友愛の心……!


・戦いに終止符を

気付くと私の頬には一筋の涙が流れていた。否定して、否定されて、また否定して……それが一体何になる? やめよう。こんな無益な争いはもうやめよう。代わりに理解し合おう。尊重し合おう。愛し合おう。


K.Masamiに終戦を提案すると、彼女も思うところがあったのか、実にウマそうな『ごろチキ』の写真が送られてきた。Masami……。



War is over. 戦争は終わった。『ごろチキ』と『ごろビー』というイデオロギーの違いによって対立した我々は、『ごろチキ』と『ごろビー』のすべてを包み込むようなウマさによって和解を果たしたのだ。そう、不可能なんてないさ。この世界には数えきれないほどの希望が “ごろごろ” しているのだから──。


執筆:あひるねこ
Photo:RocketNews24.

▼私、開戦を決意。

▼対するK.Masamiは……

▼両者の断絶は決定的かと思われたが……。

▼ちなみに、前回の記事で壮大な手のひら返しを見せたアホのYoshioについては、おそらく自分が昨日何を言ったかすら覚えていないはずなのでノーカンとする。だってYoshioですし。