日本を代表するロックバンド「人間椅子」が、ベストアルバム『人間椅子名作選 三十周年記念ベスト盤』を2019年12月11日にリリースした。これに先立って、11月末から全国7カ所を回るワンマンツアーを敢行。ファイナルの中野サンプラザ公演は、全世界に向けてYouTubeでライブ配信を行う予定だ。

そんな彼らが表紙を飾るギター雑誌「ヤングギター」の2020年1月号が書店に平積みされている。20歳の頃に彼らのコピーバンドをしていた私(佐藤)は、思わずその様子を見て目頭が熱くなってしまった。本当に良い時代になった……。

・ファーストインパクト

私が彼らの音楽を聞くようになったのは、当時のバンドブームが過ぎ去ろうとしていた1993年あたりだったかと思う。同じロック系の音楽教室に通う、抜群にギターの上手い10代の後輩から「佐藤さん、多分このバンド好きだと思いますよ」と勧められて人間椅子と出会った。


最初に借りたアルバムが、彼らの1枚目に当たるアルバム『人間失格』。2曲目(1曲目は歌詞の都合でイントロのみの収録)の「針の山」という曲を聞いて衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えている。ハードロックの楽曲に日本語の歌詞。それも古い文学的な内容の歌詞が、激しいリフとリズムにしっくりと来ている。


「こんな音楽あるのか!?」


というのが、最初に聞いた率直な感想だった。私はさらに彼らの音楽にのめり込んだのだが、後押ししたのが当時の読書。地元大学に通う一風変わった友人の勧めで、作家・坂口安吾の作品を片っ端から読み漁っている時期でもあったのだ。

そう、人間椅子2枚目のアルバム『桜の森の満開の下』は、坂口安吾の作品から借りたものだ。ただでさえ少々変わり者の青年だった私のなかで、音楽と文学が混ざり合い、人格形成の一端を担ったことは言うまでもない


・頼みの綱は雑誌の1コーナーだった

3枚目のアルバム『黄金の夜明け』もこの当時すでにリリースされていた。最近新しい人間椅子ファンの方が増えているので、余計なお世話かもしれないがこのアルバムについて一言お伝えしたい。「もしもまだ聞いていないなら、一家に1枚買い置きたまえ。不朽の名盤である」と。このアルバムはひたすらに聞いた。CDが擦り切れるまで聞いた。先の後輩と組んだバンドには、6曲目のタイトルを拝借して「幸福のねじ」と命名したほどだ。


コピーバンドを組んで地元でライブ活動している間、彼らの情報が欲しくて欲しくてたまらなかったが、今のようにネットが普及していない時代。テレビやラジオに出演する機会の乏しいアーティストを応援するファンは、雑誌に頼らざるを得なかった。

だが……、この頃から後はメロコアとかスカパンクなどが次第に台頭し始め、彼らの音楽誌への露出はほとんど期待できなかった。頼みの綱は月刊音楽誌「プレイヤー(YMMプレイヤー)」に連載されていたギター和嶋慎治氏の「ハードロック・ギター講座」だった。モノクロのページにテキストのみ。時にはイラスト付きでギター奏法をレクチャーする内容だった。そこでバンドの活動状況を把握していた。残念ながらその連載も99年に終わる。


今思えば、なぜファンクラブに入らなかったのだろうか? それほどまでに情報を渇望しておきながら、ファンクラブに入るという選択肢を当時の私は思いつかなかったのだ。そこから私は “孤独なファン” の道を歩むことになる……。

だって、バンドも曲も誰も知らないから、人間椅子のカッコよさを分かち合えるヤツがいないんだよ。ああ~、誰かと人間椅子談義がしてえなあ。そう思いつつ気づけば10年近くが経ってたよ。


・雑誌平積み

そんな私が初めてライブを見たのは、2009年にリリースされた通算15枚目のアルバム『未来浪漫派』の時。東京・渋谷のタワーレコードのインストアライブの会場に足を運び、「こんなにもたくさん人間椅子のファンがいた!」と知って、感動のあまり身の震えが止まらなかった。自分よりもずっと若い世代のファンもいて、明るい未来を予感した。


そして今日、書店でヤングギターの表紙を見た時に私は思った。誰も知らない人が「人間椅子」の名前を目にする。彼ら3人の姿を目にする。ひょっとしたら雑誌を手に取り、彼らの活動についても目にすることがあるかもしれない。いまだバンドを知らない人が、知る機会はこんなにも身近にある。素晴らしい時代になった。

あの頃の自分に教えてやりたい。「信じられないと思うけど、人間椅子がヤングギターの表紙を飾る日が来るぞ」って。

参照元:ヤングギター
執筆:佐藤英典
Photo:Rocketnews24